「300万円の壁」
初めてブログを書くことになった。
とりとめのないことも多く書くと思うが、ご容赦願いたい。
沖縄の浦添市屋富祖(やふそ)で生まれ育った。地元、興南高等学校を卒業し、阪神間にある関西学院大学社会学部に進学した。卒業後も沖縄に帰らず、本土の大和証券の関連会社のベンチャーキャピタルに就職した。それから、約20年、人生の半分を本土の荒波にもまれて生きてきた。
本土で生活しているとき、1~2年に1回、沖縄に帰省した。沖縄に帰ると、小中学校や高校の同級生達と飲み交わした。
その時、私の小中学校の同級生がこう切り出した。
「知ってる? 沖縄には300万円の壁があるんだよ。」
はじめ何を言っているのかよくわからなかった。
「要するに、40歳近くなっても、年収が税込300万円を超えないんだよ。どうしたらいい?」
もし年収300万円であれば、単純に1年=12カ月で割ると、1ヶ月あたりの税込収入が25万円になる。そこから、社会保険料、税金などを差し引かれると、手取りで20万円あるかないか。
彼はこう畳みかける。
「こんな給料で、子供二人をどう育てていったらいいの?もし子供が本土の大学に行きたいと言っても、俺は子供を大学に行かせることはできないんだよ。俺はどんなに貧しい生活をしてもかまわない。だけど、子供には、望む教育はすべて受けさせてあげたい。」
沖縄の年収の低さは、さまざまな統計資料にはっきりと浮き彫りになっている。頭ではわかっていた問題ではあるが、身近で深刻に感じたことは初めてだった。
自分自身の生活レベルは落としても、子供にだけは満足のいく教育を受けさせてあげたい。どんな親でもそう思うだろう。しかし、沖縄では、親が生活のレベルを落としても、子供に満足のいく教育を受けさせられるという保証はどこにもない。
子供に満足のいく教育を受けさせること。それができない社会とは何なのか?
先進国の一つである日本でこのようなことがあっていいのか。
私が政治家を目指そうとしたきっかけはこの会話と疑問からだった。
多くの課題が山積しているが、私が政治家を志した原点は忘れないようにしたい。
沖縄の子供たちの将来のために。
仲里勝憲のオフィシャルブログ
とりとめのないことも多く書くと思うが、ご容赦願いたい。
沖縄の浦添市屋富祖(やふそ)で生まれ育った。地元、興南高等学校を卒業し、阪神間にある関西学院大学社会学部に進学した。卒業後も沖縄に帰らず、本土の大和証券の関連会社のベンチャーキャピタルに就職した。それから、約20年、人生の半分を本土の荒波にもまれて生きてきた。
本土で生活しているとき、1~2年に1回、沖縄に帰省した。沖縄に帰ると、小中学校や高校の同級生達と飲み交わした。
その時、私の小中学校の同級生がこう切り出した。
「知ってる? 沖縄には300万円の壁があるんだよ。」
はじめ何を言っているのかよくわからなかった。
「要するに、40歳近くなっても、年収が税込300万円を超えないんだよ。どうしたらいい?」
もし年収300万円であれば、単純に1年=12カ月で割ると、1ヶ月あたりの税込収入が25万円になる。そこから、社会保険料、税金などを差し引かれると、手取りで20万円あるかないか。
彼はこう畳みかける。
「こんな給料で、子供二人をどう育てていったらいいの?もし子供が本土の大学に行きたいと言っても、俺は子供を大学に行かせることはできないんだよ。俺はどんなに貧しい生活をしてもかまわない。だけど、子供には、望む教育はすべて受けさせてあげたい。」
沖縄の年収の低さは、さまざまな統計資料にはっきりと浮き彫りになっている。頭ではわかっていた問題ではあるが、身近で深刻に感じたことは初めてだった。
自分自身の生活レベルは落としても、子供にだけは満足のいく教育を受けさせてあげたい。どんな親でもそう思うだろう。しかし、沖縄では、親が生活のレベルを落としても、子供に満足のいく教育を受けさせられるという保証はどこにもない。
子供に満足のいく教育を受けさせること。それができない社会とは何なのか?
先進国の一つである日本でこのようなことがあっていいのか。
私が政治家を目指そうとしたきっかけはこの会話と疑問からだった。
多くの課題が山積しているが、私が政治家を志した原点は忘れないようにしたい。
沖縄の子供たちの将来のために。
仲里勝憲のオフィシャルブログ