【復帰っ子】仲里かつのり

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私も阪神大震災の被災者だった②

私も阪神大震災の被災者だった②

ひとつ前のブログに続き、阪神・淡路大震災のことについて。

震災前日に大阪市淀川区東三国の友人宅に泊まった私は、震災の直撃をまぬがれた。
午前6時前だっただろうか。強い揺れで目が覚めた。
にわかには状況を把握することはできなかった。
東海地震か東京地方で大きな地震が起きて、関西もその揺れを感じたと勝手に予想した。
まさか、神戸を中心に甚大な被害が起きているとは想像もできなかった。
揺れ後、テレビがついた。関西地方の各地の震度を報道しはじめていた。

とっさに、近くの公衆電話に走った。
沖縄にいる両親に、自分自身が無事であることを伝えなければならないと思った。
すぐに安否確認のために電話が通じなくなる、そう思ったのだ。

当時は、携帯電話の普及率は低く、まだポケベルの時代だった。
ピンクや赤、青、緑などの色が公衆電話にはあるが、
災害時などは青色と緑色の公衆電話は通話規制がかからないことを知っていた(現在は不明)。

近くの緑色の公衆電話には、すでに十数人が並んでいた。
みな、並んでいる次の人に気を遣い、短時間で電話を切っていく。

私の番。沖縄の自宅の番号を押す。母が電話をとった。
「かっちゃん、俺、かつのりだけど、関西地方で大きな地震があったから。
とにかく俺は無事なんで大丈夫。たぶん1週間くらい、電話がかかりにくくなるけど心配しないで」
後日談だが、その私の電話をとった母は、時間が午前6時前だったので、
私が寝ぼけて電話をしてるのだと思っていたそうだ。

公衆電話の帰り、近くのローソンに寄る。
停電のため、店内は真っ暗。緊急用のバッテリーでレジを動かしていた。
しかし、商品はほとんどなくなっていた。

停電で家にいては情報がなかなか入らないので、多くの人々が外にでてきて話し込んでいた。
駐車場では、車にエンジンをかけてラジオを聴いている人が多かった。
ラジオからは、震度情報だけが流れた。まだ外は暗く情報がはいってこないのだろう。

何時頃だっただろう。
NHKラジオで、神戸からのレポートが入った。
たまたま神戸に帰省していた住田功一アナウンサーが
神戸市六甲の自宅から市内の方向を状況を携帯電話でアナウンスし始めた。
六甲は神戸市の高台地域に位置しているので、神戸の中心市街地が一望できる。
その市街地に煙や火の手が見えるとのことだった。
おそらく、地震直後、NHK神戸放送局も第一報を伝えることができないくいらいの状況にあったのだろう。
住田功一アナウンサーの携帯電話レポートは、地震直後の神戸の状況を把握するためには重要であった。

夜が明け、行政やマスコミのヘリコプターが飛び始めると、
甚大な被害を淡路島から明石、阪神地区にかけて広がっていることわかってきた。
地震の恐ろしさを実感するには、そう時間はかからなかった。

次は、防災について書きます。

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Posted by 仲里かつのり at 2013年01月17日   14:25
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